暑い日が続きます.そこで今回はヒンヤリとする私の経験をお話しします。それはクライアントを訪れて帰途に就こうとしたその瞬間の出来事でした。
何かの尾の用に髪の毛の真ん中が真っ白で目が吊り上がっている狐目の社長秘書女史がいきなり窓際に走り寄り『死ぬ死ぬ死ぬ沢山死ぬ』と叫び倒れました。ちょうどタクシーに乗ろうとしていた私の耳に飛び込んできた車内臨時ニュースは『御巣鷹山上空で日航ジャンボ機行方不明』というものでした。1985年8月12日午後6時56分、乗員乗客520名が亡くなった史上最悪の事故正にその時でした。
一か月後クライアントを訪問し応接室で社長を待っている間、日経新聞の株式欄を見ていると、お茶を運んできた女史が尋ねました。『何を見ているのですか?』どうも彼女は株を知らないようでした。
返事に窮した私は『株というもので白い三角の後ろにたくさん数字が出れば儲かる』と答えたものです。彼女は何も言わずに去りましたが、また一か月後、訪問した私に彼女はこう言いました。『東武ってありますか?』、それに対して私は『東武電鉄ですか?』と、でも彼女の返事は『わかりません』これでは情報にも何にもなりませんが、とりあえず250円で買うことができました。すると今までまるで取引がなかった東武電鉄は火が付いたように上がり一週間で倍になってしまいました。
その後彼女は西武を奨めて?来ました。西武は1000円やはり動きがなく様子を見ようと証券会社と話をしましたが、すっかり忘れてしまいました。そして一か月後気が付いた時には何と5倍の5000円になっていました。
彼女の容姿から見ると『これはキツネがついているのでは』と冗談交じりに社長に話したところ、クライアントは彼女を中心として企業コンサルの会社を立ちあげ活動を始めました。幸い優秀なセールスマンが在籍していたため上場会社の社長が来社しました。
私が同席したのはまず日本マクドナルド田社長。彼女は日本的なものを売れとアドバイス。味の素には瓶の穴を大きくしなさい。これは一年前ほどに実行されていました。キッコーマンには醤油を欧米に販売と、当時サンフランシスコに行くとキッコーマンが醤油の代名詞でありましたが、まだまだ世界的ブランドではありませんでした。しかしその後の結果はみなさんご存じの通りいまや世界は和食ブームです。
そしてサンリオ、当時のサンリオは業績不振で三菱銀行の管理下でした。彼女は並みいる役員の前で、『多摩に遊休地がありますね。そこにディズニーランドを作りなさい。そうすれば業績が上がります。』、サンリオピューロランドのことです。今やサンリオは増収増益を繰り返し株価も日経225に影響を及ぼすほど成長しました。
その後の彼女は?
今から30年ほど前、北海道から上京した彼女と会いました。開口一番『又株お願いします』と言った私に彼女の返事は、『ごめんなさい私あの時のことはまるで記憶にないの』でした。そういわれて顔を見ると髪は全部真っ黒、目はたれ目の普通のお母さんになっていたのです。狐憑きではなくなっていたのです。