1月15日、好調な企業業績を背景に日経平均株価が3万6千円を回復しました。これは33年11か月振りで1990年2月以来のことです。1990年はこの2月を最後に大納会では2万3848円71銭とわずか1年で39%も下落しました。1990年は当初から地価も下がり、経済成長が低迷するなど所謂バブル経済の崩壊があきらかになった年でもあります。
今年は株価が好調なら地価も上がっています。すでにバブル時の最高値を超えており、特に首都圏のマンションは平均価格8101万円、23区は1億円越えです。夫婦共稼ぎの世帯が専業主婦世帯を上回る状態は1990年の後半から顕著になりその後も年々その差が開いている為、共働き世帯用のペアローンを金融機関が積極的に進めているのと、相変わらず続く超低金利がその一翼を担っていると言っても過言ではありません。
実際、去年植田新総裁が就任した時には金利の上昇が見込まれて、不動産株は軒並み下落しました。又円安による海外勢の購買意欲もあります。特に中国マネーが一時のリゾート物件から首都圏の投資マンション、さらに住宅として購入しているのも価格を押し上げている一つの要因でしょう。何か日本が買われているような気もしますが、過ってのバブル期にアメリカの不動産を買いまくったのは日本ですから嘆いてもしょうがないことでしょう。
株価、不動産価格、金利の連動性は昔も今も変わりません。ところで1990年、世の中の刑事事件捜査方を変えた大きな事件があったのを覚えていらっしゃるでしょうか?足利事件です。1990年5月12日、杤木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から、父親がパチンコをしている間に女児が誘拐され、翌13日、渡良瀬川で死体となって発見された事件です。逮捕された菅家利和氏を犯人とした決め手はその当時使い始めた初期のDNA鑑定でした。進歩したDNA鑑定に基づいて菅家さんが釈放されるのは、それから17年もの歳月が必要でした。
又、証券業界、金融業界でも大きな事件が終焉を迎えた年です。光進事件です。小谷光浩氏率いる仕手株集団光進が、バブル末期の1987年から1990年にかけて蛇の目ミシン工業(現ジャノメ)国際航業(現国際航業ホールデイングス)藤田観光等の株を買い占めた一連の経済犯罪で、代表的なものに蛇の目ミシンの仕手株戦があります。埼玉銀行(現りそな銀行、埼玉りそな銀行)が迂回融資をして296億円を小谷代表が搾取しました。
これ以後仕手株は影を潜めインサイダー取引迂回融資の禁止等と金融界は透明性をたかめる努力をするようになりました。もっともそれ以後もそれらしき事件は後を絶ちませんが株に融資をして潰れた?銀行も証券会社も多々ありましたが再編成により現在の数に落ち着きました。そういった意味で1990年は大きな節目となった年です。1990年の高値を抜いた株価、史上最高値が年内に起こり得るでしょうか?